世の中の矛盾!己の矛盾!blog

人には色々な考え方がある。その考え方をこのブログにてぶつけて正しい事かを問い詰めて行きたい。

給料は中々上がらない。

一年近く在籍しているとOさんと2人での設計課も慣れて来ました。

入社して初めての年末私はまだ一年居ないので賞与なんぞ無いと思っていたが私にも賞与が出ました。

今の私が有るのはOさんの御陰なので初めて出た賞与でOさんが以前から欲しがっていた愛車(XJ400)のマフラーをプレゼントする事にした。

値段は高かったが、お世話になっている事を考えればとサプライズ!

Oさん「そんな高い物貰えないよ」と焦っていたが単車のマフラー私が持っていても仕方が無いので無理やり貰ってもらいました。

スゲー喜んでもらえてその日の夜誰もいない会社で一人でマフラー取り付けてました。

喜んでもらえて嬉しかった。

 クリスマンスの夜我が家に客人が来た。Oさんだった!

Oさん「サンタクロースだぞ」と言いながらデカい段ボール。中身は何とワイド液晶テレビだった。

我が家は、貧乏だから室内アンテナのテレビだったのでめっちゃ嬉しかった。

ヤッター!だけどなんで・・・・。Oさんからのマフラーの御返しみたいだ。

Oさん「こんな事してたら互いに金なくなるから今後は無しで頼むよ(笑)」

本当にOさん義理堅いなぁ。

 年が明け会社に出社。この会社年明けの初出社の際は、社長からの有り難いお言葉の後お年玉(5千円)が貰える。貧乏な俺にはうれしい!

世の中の会社と同じだと思うけれど年賞与2回、昇給1回なのだが当時は3月に特別賞与があった!単純に言うと売り上げが良いから国に支払うより社員に還元すると言った事だと思う。当時は景気が良かったからだろう、今では考えられない。

安月給から一年経ち昇給の時期だが、私は期待していた何故なら4人いた設計も2人になりしかもOさんは入院等で休みの間は私が1人で業務を行っていた。

仕事もミスはあったが1人で設計をして現場に図面を出していた。

絶対に上がってると信じて明細書を見ると・・・・なにぃ!

たったの5千円しかアップしてない。ウソだろ(涙)唯でさえ給料が安いのに・・・。

本当に思うけど若い頃は欲しい物が沢山あるけどお金が無いし給料も安いしましてや私は自立している立場でお金が貯まる訳ない(涙)

もしこのブログを見ている若い子がいたら経験者の話として聞いて欲しい。

実家が有るなら一人暮らしより絶対に実家暮らしの方が良いよ。

実家に入れば飯はあるし洗濯してくれるし光熱費の心配しなくて良いし言う事なし。

その分給料を貯金出来るし小遣い増えるし万々歳。

デメリットとしては、同居だから親がうるさいとかのレベル位だろそんなの我慢出来ない輩は1人暮らしの厳しさ味わってみればわかるよ。

親の有難味が解るから・・・・。俺の場合マジで底辺からだったから実家通いの輩は羨ましかったよ(涙)

社員旅行

本当に旅行が好きな会社で今では考えられないが年に2回も会社持ちで社員旅行。

ただ、ハードスケジュールと言う事と同世代がいない社員旅行に行ってもつまらない私は、法事等で回避する事も暫しありました。

旅行先は、上は北海道から下は熊本まで行きましたね。逆に行ってない場所の方が少ないでしょうか。

九州に行った際は、2泊3日の弾丸ツアーで長崎、熊本、福岡、大分、佐賀に行きました。(2泊3日で5県って・・・・)

長崎はハウステンボス、熊本は阿蘇山、福岡は中州の屋台、大分は湯布院、別府の地獄めぐり、佐賀では佐賀牛を堪能。

 

年齢層が高い会社だから基本お寺回りが多いんだよね。その中ハウステンボスは私的に良かったけれどOさんが旅行バックレ。

ハウステンボスでは集合時間まで自由時間だけど一緒に回る同世代がいない。仕方なくおじさん連中と同行したけど・・・・。

マジかよありえない。折角ハウステンボス来たのに園内歩くの疲れるから時間迄船乗ろうぜってウソだろ何回乗るんだよ。

結局私一人で園内を回りました。一人でも楽しかったがやはり誰かいた方が絶対にもっと楽しいだろう。

お泊りは、大分の湯布院だった。夜皆でストリップ劇場に行ったんだが大分のストリップ劇場は凄い!ホテルから送迎バスは出るし劇場は満員御礼(ほぼ立ち見)私も色々ストリップ劇場を見て来たがここまで凄い劇場は初めて。客層も男性だけでなく女性も来てました。東京のストリップ劇場だってここまでは凄くないよ。本当にびっくり!

 

ストリップ劇場でネタを一つ。

仕事の出張でOさんと静岡の沼津に行きました。

仕事終わりにOさんが

「飯食いがてら伊豆まで行ってストリップでも行かないか。折角だから」

と言う事で伊豆までドライブ&ストリップ探し。

正直往復時間も考えて西伊豆が限界だったので西伊豆ホテル街にてホテルの従業員や飲み屋にて聞き込み。

現在ではストリップを行っている所はあるが・・・という返答だった。

確かに私が思っている伊豆の夜のイメージとは違う暗い雰囲気の街並みの中言われた場所に行くと・・・ストリップ劇場発見!

だけどマジでボロイし掘っ立て小屋かと思う程だ。

店の外には、還暦手前位のおばさんが一人。

「見ていくかい。今日は平日だから女の子少ないけどどうだい」

折角来たのだからOさんと相打ちをしていざ掘っ立て小・・・劇場へ。

予想通り劇場内は、我々の貸切状態。狭いしイスがパイプ椅子。最前列は6席。

我々は、後ろの方に座りショーを待った。

いざショータイム!

カーテンが開くとそこにいたのは、先程表にいた還暦婆!ウソだろ!

ババア「貸切状態なんだら一番前に来なよ。ハジを欠かせるんじゃないよ」

仕方なくOさんと2人で最前列へ。

絶対に俺の母ちゃんより上だよ。マジかよ!

面白くも無く2人して大人の対応。だが、パンツを脱いでアソコが露になったとたん

私とOさんは・・・・・!

なんとアソコ部分にトイ〇ット〇ーパーがへばりついていた。

ウソだろ。私は直ぐにOさんの顔直視!

ババア「な~にクジラの汐吹みたいな顔してんの」

と言いながらトイ〇ット〇ーパーを穴に入れ隠しやがった!

またまたウソだろ!

流石に酷すぎるだろ。途中で悪いが退出・・・・・絶対無理!

帰りの道中Oさんと爆笑だった。

無駄金払ったがネタとしては面白かった。

 

ここから、私の世の中の矛盾!己の矛盾!

 

・有名所の温泉地では送迎付きのストリップはあたりまえなのか

・女性もストリップ劇場って来るんだな

・還暦でストリップって・・・・どうなの

・クジラの汐吹みたいな顔ってどんな顔だよ

 

もし宜しければ皆さんの御感想や文句等言って頂ければ幸いです。

あくまで色々な考えがありますからそんな考えをぶつけ合えれば良いかなぁと思っております。

初出社!

ドキドキワクワクの中初出社。

先ずは、自己紹介を兼ねて皆さんに挨拶して回る。そしていざ設計室に入ると狭い!

多分4畳の部屋に人が3人狭すぎるだろ!

 

設計課は、リーダーのOさん、先輩のYさんとSさんの3名で仕事を回しているみたいです。

リーダーのOさんは、年齢30前半妻子持ちのヤンキーチックな方。

Yさんも30前半既婚者で身長が180cm以上の長身、車の免許は無いがバイクの免許所持にて会社にはバイク通勤。

そして、Sさん20半未婚者車所持(シルビア)ここまでは良い、なんと会社に住んで居ました。

この会社の何処に住んで居るのかと言うと、会社の奥の製缶場2階!

部屋に行く際は、工場内の製缶場より急な階段を上がったら直ぐの部屋だ(ほぼ屋根裏部屋)部屋は、4畳半エアコン完備フローリング。

風呂は、工場の洗面所にてシャワーがありました。ガス、水道等は事務所横の食堂を利用。正直良く製缶場の2階に住むなぁと部屋の中溶接の煙でやばい状態じゃないのと思いました。

あと、工場内の夜めちゃくちゃ怖い。家賃無し、光熱費無しでも俺なら絶対に住みたくない。(嫌すぎる)

私を入れてこの4名にて設計課スタート(私は見習い役立たずですが・・・・)

設計室には、大きい机が2つとドラフターなる図面を書く物2台が御座いました。

ドラフターは、食堂にも2台。

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ドラフター

設計室は、私とOさん。食堂はYさんとSさんと言った感じです。

Oさんより最初の2ヶ月勉強して設計と言う職業を理解しようと

「給料もらいながら勉強できるのか」と心で思う私であった。

最初は、図面の理解。単純に図面が読めるかどうか。当然読めない私。

機械設計の図面の種類は、組立図、部品図大雑把にこの2種類からの構成で組立図をバラバラにすると部品図となる。

初めの作業は、Oさんが書いた図面を私が設計の参考書と共に何枚も確認作業。理解するまで永遠と図面を確認する毎日。

組立図と照らし合わせて図面の専門用語や基礎知識を理解して行く。

次に初めてのドラフターを使い図面作成を行った。

Oさんが手書きで書いた図面を私がドラフターを使い正式な図面にする作業。

徐々に慣れて行き次は自分で設計する為の基礎・・・・計算だ。足し算、引き算、掛け算、割り算この当たり前な計算は当然出来る。次に行き成り訳の分からない三角関数

sin,cos,tan・・・・。

設計者なら当たり前であるが、私は真面に学校を出てない全然分からない。

私「Oさん。私大学行ってないので英語入っている方程式は解りません」

Oさん「・・・・」

Oさん「〇〇君は無理して覚えなくても様よ。追々覚えるから無理せず頑張ろー」

よくよく考えたら三角関数など中学で教わる方程式。Oさんはそれを馬鹿にもせず、一から指導。

俺は本当に馬鹿だ。基本すら解らないで設計者を目指すなんて世の中舐めてる。

その日の帰り早速古本屋にて数一の参考書と機械設計の基礎参考書を購入して猛勉強。

多分人生で一番勉強したと思う。

段々慣れて行き初めてOさんより図面を書いてみようと指示かあり。

初めて書いた図面が機械の架台である。

しょぼいかもしれないが初めて自分の書いた物が品物になった時は嬉しかったです。

 

入社より2ヶ月Yさんが会社に来なくなりました。

見習いの私が気にかけるのも変だが、何故だろ。

結局そのまま退職したのだが何故退職したのか解らないままYさんは居なくなった。

 

歳が近いSさん

顔立ちはハーフっぽい顔立ち。

以前話したが、私はシルビアが欲しかった事も有りSさんのシルビアに乗せてもらった。運転席に座らせて頂いた時ビックリ前が全然見えない。何故だ。

めちゃめちゃシートを倒して運転してる。こんなで運転出来るのか。マジかよ。

大体Sさん私と身長が変わらないのにプライベートで横にいると私より背が高い何故だ。

足元を見るとラッパズボンの下にシークレットブーツ・・・ウソでしょ!今時シークレットブーツ履く人いるのかよ!

本とこの人だけは良くわからない。

結局このSさんもYさんが辞めてから直ぐ会社を辞めて行った。

理由を聞くと事務所の陰険ないじめと製缶場2階での生活が厳しかったとの事。

でしょうね。流石の私でも会社で一人暮らしはしたくない。本当にめちゃめちゃ気味が悪いから。それと、会社休めないからね。

 

私が入社して3ヶ月後Oさんと二人での設計課。私は役に立てるのでしょうか。

 

この会社の設計業務めちゃめちゃ幅が広い。

自動専用機の設計、検査機器の治具製作、金型設計。

機械の組み立て、配管、電気の配線、自動機の修理、立ち合い、打ち合わせ等本当にめちゃめちゃありすぎる。

 

私が少しでもOさんのお役に立ってれば良いが殆どサポートばかり。

この現状化でOさん体を壊し入院しました。

この日より解らない事を毎日書き求め会社の帰りに病院に毎日通う事になる。

Oさんが退院しても自宅にお邪魔しました。(ホント迷惑だよね)

この出来事より少しづつ自立して仕事を行う様になった。やっぱ人間危機感を持たないとダメなんだなぁ。

とは言ってもまだまだOさんの足下にも及ばないのは当然の事である。

 

Oさんメチャクチャ頭が良い人だ。

だって全然訳の解らない方程式で図面を展開していたり、電気の配線やソフト制作なんかも行っていた。マジで凄い。

だけど、Oさん女癖が悪い。しかも、体が弱く月に1週間は欠勤。本当に凄い人なんだけどねぇ。

 

話は少しそれるが、この会社本当に年齢層が高い!

殆どが40歳以上!平気なのかなぁ。事務員の二人も60歳以上2人。マジかよ。

大体いちばん若いのが私で次に若いのがOさんの32歳。次からは全て40歳以上!

でもこの会社の良い所、ボーナスが在籍1年以内で出た。社員旅行が年に2回。金回りが良いのかなぁ。ちなみに私は見習いだから給料は安いのは当然だが、Oさんが給料いくら貰っているかは判らないが安いとよく嘆いていた。

この会社の社員旅行は少しキツイ。

当時会社は土曜日も出勤日仕事を午前中で終わらせてから午後よりバスにて出発。

次の日、渋滞している事が殆どで会社に戻る時間は21時が当たり前そこから帰宅して次の日仕事。会社からの暗黙の掟として旅行の次の日は絶対に休むなと社長が目を光らせているので基本休む人はいない。流石のOさんも休まない(でもOさん基本社員旅行来ないんだよね)

 

会社に1年近くいると色々見えてくる。

いくら見習いとはいえ理解が出来ない事は確認しないと居られない性分なのでちょくちょく諸先輩方に睨まれていました。

会社には営業が社長も入れて4人います。会社には営業車なるものが在りその4人が一人一台所有していました。

ちなみにその4人社長長男、工場長次男、営業三男、親戚営業課長要するに同族会社ですよ。

 

気になった私は、社長に聞いて見た!

そこに、話を聞いていた工場長が鬼の形相で入って来た!

工場長「見習いの分際で何言ってやがる!」「10年早いんだよ」「仕事覚えてから言え」

えっ・・・・

気になった事聞いたのに怒られた!

「絶対10年後聞いてやるから答えろよ」と心で思いグッとこらえる私であった。

 

ここから、私の世の中の矛盾!己の矛盾!

 

・社用車なのに会社名が入っていないのか。

・営業車なのに何故皆高級車ばかりなのか。

・社用車なのに出勤に使用して良いのか。(日曜日も乗っていました)

 

もし宜しければ皆さんの御感想や文句等言って頂ければ幸いです。

あくまで色々な考えがありますからそんな考えをぶつけ合えれば良いかなぁと思っております。

第四幕序章 本当にやりたい事?

仕事を辞めたのは良いが相変わらず先の事を考えていない私!

今回は、母の家に居候中にて追い出される心配はないのだけれど母の旦那の視線が痛い。

車を購入してお金の余裕も無く(本当に俺はお金を貯める才能が無いね。高校時代もバイト掛け持ちでめちゃめちゃ稼いでたけど最後はお金が全然なかったもんね)

家賃の5万、駐車場代の1万は収めている。

取り敢えず1ヶ月は何とかなるか。

求人広告や職業安定所(現ハローワーク)見ているが、これと言ってやりたい職業は無い。

そんなこんなであっという間に1ヶ月やばい家賃、駐車場代払わないとだけど金が無い。

それを見かねた母の旦那が「金が無いなら俺の仕事を手伝え」と言う事でお手伝い。

母の旦那の職業は大工だ。

手伝い賃は、破格の1日1万しかも飯付き。見習いお手伝いに払う金額じゃないよね。

本当に有難う御座います。

何日か手伝いに行くものの大工やりたくねぇ~。

勘違いされると困るから言うけど馬鹿にしている訳ではなく、自分がやりたくない仕事を一生懸命教えてくれる旦那に申し訳が無いのである。

このまま手伝いしていても毎日が無駄に過ぎ職探しが出来ない。

職安に行き給料が高い所をピックアップ。学や経験が無い私で一番お給料が高かったのはダンプの運転手、直ぐに面接との事で会社に伺うと軽く履歴書を見てから直ぐにダンプに乗り路上実技マジかよ!

乗用車しか運転した事が無い私。前の会社でもトラックはMさんが運転していた。

練習無しで行き成り路上かよ。しかも、そのダンプ調整不足でブレーキが軽く踏んだだけで急ブレーキになりやがる。マジかよ!

冷や汗をかきながらなんとか乗りこなし無事帰還。

面接は合格との事で細かい話を聞いて見ると給料は月給制の残業代は無し。仕事がある場合は、時間帯関係無し出動・・・え!時間帯関係無し?

どういう事ですか?

単純な事だ。ポケベルを持たされて呼び出されたら何時だろうと直ぐ会社に来いとまぁこんな感じだね。

絶対に無理。絶対に事故るよ!折角合格したがお断りさせて頂きました。

ちきしょう!自分がやりたい仕事が見つからない。また、大工の手伝いも嫌だし。

そんなこんなで月日がたって仕事が見つからないで何もしていない俺を見かねた旦那。

当然俺が悪いのだが、焦りや若気の至りで旦那と喧嘩。家を出て行きました。

母に申し訳なく「流石に家にはもう戻れないからね」と当然だ。

ただ行く当ても無い私に母が、知り合いの方に頼んでアパートを紹介してくれた。

2K風呂無し家賃は3万のボロアパート!だけど、駐車場代の1万も払わないといけないから月4万だね。あと、光熱費と車のローンで月9万は飛んだね。

運よくそのアパート母の知り合いだったから敷金礼金無しの家賃1ヶ月分からで良いとの事。

本当にお金が無かったのでそれを見かねた母がお金を貸すと言ってもらったが断わった男の意地だ!(だって母が貸してくれるお金は旦那が稼いだお金だ。旦那に悪い)

直ぐ職探し選んでられない状況である。

求人広告より(因みにこの求人広告は母の家の新聞から拝借)時給が高い物をピックアップ。

直ぐに出来そうな物が、某宅配便の夜間積込み作業である。(時給が良かった)

面接後次の日からOKとの事。

初日新入りバイトは私を入れて5人(こんなに新入りがいるんだとその時は軽く考えていた)労働時間は、23時~7時半まで2時に休憩時間があった。

仕事は本当にきつかったよ。積込み作業は肉体労働で体力には自信があったからまだ良かったが社員の横柄な態度に限界反応MAX!

初日なのに専門用語言われたり言われた所で作業していたら文句言われるし本当に嫌になったが頑張った。

一番嫌なのが、トイレに行く際「ライン〇番〇〇トイレに行ってきます」とラインリーダーに断りを入れないとトイレに行けない。(刑務所かよ!)

やっとの事で休憩時間休んでいたら他の新入りが話しかけてきた

「マジあり得なくないですか」

「俺バックレますわ」

折角働いたのにお金貰えないよ。

「全然かまわないこんな所朝まで居たらおかしくなる」

と言って消えて行った。

私は何とか朝まで頑張って朝日を拝む。

帰り周りを見渡すと5人居た筈の新入りは私を入れて2人しかいなかった。

3人逃げ出したのである。

どうりで高い時給で毎日人が変わる訳だ。納得!

申し訳ないが私も初日でギブアップ。

初日分のお金貰えないけど刑務所には戻りたくないよ。

今まで働いた中で一番人間扱いされなかったね。

 

でも、やばい早く働き口探さないと家賃等払えない。

仕事が見つからない日々を過ごす中ある日夜家のドアがトントン!

俺の家に来る輩なんかいない。誰だ!誰だ!誰だ!

ドアを開けると

 

旦那!「上がるぞ」

びっくり!

旦那「飯食ってんのか」

俺「1日一食だけどカップ麺を食べてるよ」

沈黙の中

旦那「もしお前が本当の俺の息子ならもっと早く話してるし殴ってる」

「俺には子供がいないから解らんが」

「戻って来い」

「中途半端に仕事探すより自分が一生働きたい職を探せ」

「それまでは飯食わせてやるから」

「必死に自分が何をやりたいのか考えろ」

沈黙の中

俺「すいませんでした」

 

俺は何も考えて無い事に気付いたよ。

ただ1日1日どうしようとしか思ってなかった。

 

取り敢えず飯は頂くが戻る事は御断りをしてお金を借りて頑張る事にした。

戻らなかったのは、また甘えが出るといけないから自分自身危機感を持つ為戻らず頑張る事にした。お金を借りたのは、履歴書や職探しの交通費等も考えなくてはならなかったから借りる事を選択した。

何せ履歴書使い回しでボロボロこんな履歴書持っていけないよ。

 

次の日よりまず自分が何をやりたいのか。世の中にはどんな仕事が有るのだろうか。

仕事は選ばなくちゃ色々あるよ。だけど、そんな仕事を変えていれば人はこんな輩どう思うだろうか。

例えば飲食業の経験がある人が建築関係に行ってその経験を生かせるのか。

後々話すが、履歴書に学歴、職歴を書くのは第一印象としてその人の経緯を見るからだと思う。だって初めて会う人を履歴書で判断するのでだから仕方ない。

その事から出来る限り職種を変える事は職探しにおいて不利だと私は思う。

ただ逆に様々な職業を経験している事でツブシが聞くと言う利点はあるが大手会社の再就職の可能性は殆ど無いに等しいだろう。(私の経験上)

 

色々考えた

私の最終学歴は高校普通科を卒業。(しかも追試にてギリギリ卒業)

正直普通科卒業って可もなく不可も無くと言った感じ職探しをメインとするのであれば

絶対に自分がやりたい職業の専課を選択した方が絶対に良いよ。

普通科って本当に字の通り普通だから弱いよね。

私はこの時、普通科卒業で出来る仕事って何だろうと考えた・・・・!

駄目だ駄目。一番考える事は諦める事なく自分がしたい仕事を探す事だ。

妥協して就活しても意味が無い。今は一番したい職業を考えるんだ!

う~う~う~

 

私はおもちゃやゲームが好きだ。もし自分が考えたおもちゃやゲームが作れたら楽しいし、そのおもちゃやゲームを喜んでもらえたら嬉しいと考えた。

早速職安や求人広告、求人雑誌を調べまくり、残念な事にそう言った職業は新卒者、大学卒業の方、経験者、専門科卒業の方に限ると当たり前だよね。

高校普通科で雇ってくれる訳ないよね。俺ってバカだなぁ~。心折れそうだよ。

今から専門学校や大学に行くお金もないし余裕も無い。

どうする。馬鹿な頭をめちゃめちゃ働かせ出た結果!

おもちゃやゲームを作ると言う事は設計すると言う事だ。

仕事をしながら設計を学ばせて貰える職種を探そう。ダメもとだ!諦めるなぁ!

設計にも色々あった。

一番多く求人が合ったのは建築設計、機械設計、電気設計でした。

学歴不問、経験不問の会社を手辺り次第面接しました。場所が遠くても雇って貰えれば通う覚悟で遠くまで面接も行きました。

何社行っただろうか多分40社以上は行ったと思います。

面接に行くといきなり筆記試験(無理だよ)

「一般教養だから」「簡単だから」「合否に関係ないから」定番の断り文句。

中には、履歴書見て直ぐ

「当社には向かないね」「履歴書勿体ないから返すから他に使ってよ」

本当に心折れるわ!

余りに通らないので浮気して某大手芸能会社のマネージャーなんかも面接行きました。

(だって経歴不問と書いてあったし興味があったから・・・若気の至りですいません)

周りの面接に来ている輩と3人一組にて面接。

東京外語大学卒業」「慶応大学卒業」

私「〇〇高校卒業」

恥ずかしいの通り越して帰りたかった。だって馬鹿をさらけ出してる様なもんだからね。本当に情けない。

当然受かるはずも無く撃沈!

 

諦める事なく就職活動は続く。

当時から変わらず求人広告は日曜日の朝!

求人を隈なくチェック。前に断られた求人を何社も発見。

「募集出すならやる気のある俺使えや!広告代勿体ないだろ」

と文句を言いながら眺めていると新しい求人を発見。

機械工。仕上げ。機械設計。

見習い可。やる気がある者集う。

 

マジか!マジか!マジか!

 

次の日早速電話。

私「求人広告を見て御連絡させて頂きました。求人担当の方はいらっしゃいますか。」

求人担当は会社の社長さんらしく

私「求人広告を見て御連絡をさせて頂きました。経験は無いのですが宜しいでしょうか」

社長「歳はいくつ」

私「20歳です」

社長「じゃ。明日会社に来てくれるかな。」

私「はい。何時に伺えば宜しいですか

社長「じゃ。13時に来てくれる。」

私「解りました。宜しく御願い致します。」

 

住んでいる場所から会社が近い事も有り前日偵察。

町工場で会社的には小さかったですが、学歴不問。見習い可。

に期待を込めて視察終了し帰路に就く。

 

次の日気合十分

13時10分前に会社の前にてスタンバイ完了。

13時いざインターフォン

「ピンポーン」

私「本日13時に面接させて頂く事になっております〇〇です。」

事務員「少々お待ちください」

降りて来たのは、40歳前半眼鏡をかけた人。

こんな若い方が社長。

「私当社の工場長をしております〇〇です。」

「すいません。本日社長は出張で外出しております。」

ウソだろ。マジかよ。

工場長「本当にすいません。明日なら間違いなくいますのでお手数ですが明日にもう一度来て頂けますか。」

私「解りました。」

工場長「折角ですから会社見ていきませんか。」

私「良いのですか。是非宜しく御願い致します。」

と言う事で急遽面接が会社見学に変更。

先ずは工場内を見学

社員の年齢層にビックリ。平均年齢高!私が見る限り40代~60代で社員人数20人位で回しているみたいです。

仕事は、金型、治工具、専用機の製作を行っているとの事。

工場内の部署は、機械班、金型班、治具・仕上げ班、製管班と4部門に分かれておりました。

次に事務所、営業4人、設計3人、事務員2人でした。

最後に工場長と話しました。

私「経験はありませんが、機械設計と言う仕事に憧れております」

工場長「解りました。本日は本当にすいませんでした。明日宜しく御願い致します。」

と言う事で気合空回りでしたが一度撤収。

 

後日

同じ様に13時10分前会社前にスタンバイOK

13時ジャストにインターフォーン。

「ピンポーン」

事務員「2階にどうぞ」

応接間にて待つ事数分

社長登場

「どうも。昨日は大変失礼したね。忘れてしまって申し訳ない」

「会社見学は昨日したと思うから」

「履歴書みせて」

相変わらず多種の職種を指摘され尚且つ高校普通科

弱すぎる(余談ですが、履歴書に免許・資格記載欄有りますよね。当時私が持っている資格は、普通自動車自動二輪車中型のみで弱いと思い。柔道2段、空手初段も記載しておりました。今思えば恥ずかしい)

「機械設計希望だって」

「機械設計は経験者募集だったんだよ」

マジかよ。そんなこと書いてなかったじゃねーかよ。ウソだろ!

社長「Oちょっと来い」

Oさんは、設計課のリーダーだ。年齢的には30代位。

社長「機械設計の求人募集で来たんだが、未経験者なんだ」

社長「設計は経験者じゃないと厳しくないか」

Oさん「本人のやる気じゃないですか」

私「経験はありませんが、やる気、努力、根性はあります。宜しく御願い致します。」

社長「取り敢えず分かった」「後日合否に連絡するから」

とこんな感じて面接終了。

 

当然他の就活を行いながら面接の合否を待つ毎日

1週間たっても連絡が無い。ダメだったんだなぁ。せめて連絡位寄こせよ。それが筋ってもんだろ。大体面接日時決めて行ったのにいないってどういう事だよ。

求人の書き方だって紛らわしいんだよ。何が機械設計は経験者募集だからだよ。

ふざけんな!

なんて思いながらだんだん腹が立って来て電話してみた。

「先週面接させて頂いた〇〇です。社長様いらっしゃいますか」

「面接の合否の御連絡を後日頂けると聞いていたのですが」

社長「悪い忘れてたよ。すまん。」

社長「雇用の話をしたいから明日もう一度会社に来てくれるか」

私「え!採用と言う事でしょうか。」

社長「見習いからだけどやってみるか。」

私「有難う御座います。」

やったー!やったー!やったー!

会社何社行ったんだろ。マジで俺なんか馬鹿が設計士出来るんだろうか。

ぜってぇ頑張るぜぇ!

 

 

ここから、私の世の中の矛盾!己の矛盾!

 

・某運送会社休憩時間30分だけで23時~7時半まで働かせて良いの。

・軽く踏んだだけで急ブレーキになるダンプで公道走って良いの。

・学歴不問と書いてあるのに面接行って追い返すっておかしくないか。

だったら学歴不問とか書くな。

・某大手芸能事務所も高卒者じゃ駄目なら大卒以上って書いとけよ。

・面接行って行き成り筆記試験って求人に書いとけよな。

・合否関係ないからってウソつくな。関係ないならやらせるな。

・面接日程決めておいて忘れるってどうなの。

・後日合否の連絡忘れるってどうなの。

 

 

もし宜しければ皆さんの御感想や文句等言って頂ければ幸いです。

あくまで色々な考えがありますからそんな考えをぶつけ合えれば良いかなぁと思っております。

第三幕!仕事探しの難しさ

話を少し戻すが、寿司屋で働いて居る頃より幼少期に離れ離れになった母や姉と連絡は取っていた。

姉は、活魚の運転手をしていて私の事も思ってかお店に活魚を持って来てくれた事がある。店としてはラッキーだよね。

姉なりの気遣いだったんだろう。

母もお店に寿司を食べに来た事があった。

私の両親は私が小学3年生の時離婚をしていて私は父に引き取られ生活をしていた。

母は再婚をしており自分の家庭を持っている。

そんな母が、「あんたさえ良かったらうちに来る」と言ってくれました。

正直色々悩みましたがお世話になる事にした。

母の家は、本当にオンボロ賃貸3Kの平屋で玄関から一直線に部屋が3つ本当に昭和屋敷。

前にも話したが、実家が有るのは良いぞ。

炊事洗濯してくれるからね。だけど、タダと言う訳には行かない。

3食飯付きで住まわしてもらう手前月5万払う事にした。

母の旦那の手前急いで仕事を探さないと思ってはいたが中々仕事が見つからない。

正直仕事を選ばなければ色々有るのだけれど出来る事なら長く働きたいしどうしたもんだろう。

毎日職探しをしている中、母が一人の叔父さんを紹介してくれた。

その方は、私の父と母を結婚させた人でMさん私も幼少期にお会いしている人物である。

 

Mさん

「お前遊んでるなら俺の仕事手伝わないか!」

「取り敢えずどんな仕事してるか一度見に来いよ」

 

私は、一度どのような仕事をしているのか見に行きました。

会社は大きな会社でしたが、Mさんはその会社の外注業者で会社の一角にて

トラックを改造して消防車を作っている会社でした。

Mさん一人で行っており偶々人が辞めたので社員を探していたらしい。

正直肉体労働3Kの仕事悩んでいるとMさんがお給料の話をした。

給料を聞いてびっくり即お世話になる事になりました。

(後に気付く。私は社員では無く一事業主だから国民健康保険、住民税、所得税国民年金を個人で行わなくてはならない。要するに確定申告だ。当時は社員だと思っていたから確定申告等そんなこと一切考えて無かったからさあ大変。そのことは追々話そう)

 

 

仕事は、Mさんのサポートが全般。

特に覚える事も無く言われる事を毎日行う。

 

大雑把に言うとトラックの運転席後方をぶった切り延長パーツで板金取付を行う作業。

トラックの中は偽装屋さんが行うので形にするまでが一連の作業。

トラックは大きいから一台終わらすのに時間はかなりかかる。

 

当然工場内だから夏は暑く、冬は寒い。

夏は特にキツイ!溶接をする際風があるとガスが飛ぶので扇風機等は禁止。

ましてや溶接の熱にて体感温度は・・・・!

また、トラックの下にて板金を行う際は本当に地獄(風通しが無いから)唯一の幸せは

トラック車内の内張りを行う部門にお願いしに行くとその部屋はエアコンルーム天国のような部屋(羨ましい)なんだかんんだ言いながら少し長居をしていたような気がするなぁ。

この時思った。何時か絶対エアコンが有る部屋で仕事が出来る職に就くぞ!

 

因みに外注扱いなので仕事が無い時は早上がり当然お給料は引かれる。

ただMさんは結構気にかけてくれたのでMさんの車の洗車や将棋の相手、家の草むしり等でなんだかんだお給料が引かれる事はそんなになかった記憶がある。

 

この親会社は、社員数も多く色々な部署があった。それだけ社員が居れば会社として色々なクラブもあった。

私は外注だから関係無いと思いきや社員じゃなくても同じ組織内だからクラブに所属して良いとの事。

Mさんに聞いても仕事に差し支えが無ければ良いとの事。

因みにMさんは将棋クラブに所属していた。

会社の若いグループから色々声を掛けられ、野球、サッカー、ゴルフ、将棋、卓球悩んだ挙句サッカーを選択。

サッカークラブは、人数18人位練習は週3位で仕事終わりの夜にナイター設備にて21時まで行っていました。

練習試合は夜仕事終わりに行っていて大会は日曜日にて行っていました。

当時はJリーグブーム物凄いチーム数がありましたよ。

私のチームは物凄く弱く勝った試合が少なかった気がします。

 

この頃にお金の余裕が出来て車を購入しました。

本心言えば日産シルビアを新車で欲しかったんですが当時のシルビアの金額が360万買える訳がない。

フルローンも考えましたが、結局姉の助言にて中古マツダAZ-3をローンにて購入。

値段は、込々で120万だったような気がする。

その頃から車の改造等行い見た目ナンパ使用に様変わり!

追々学ぶのだが車の維持費は本当に大変だよ。

ガソリン代、車検、税金、保険代、車の修理費(何か在った時)

 

月日が経って社員がもう一人増えました。

その方はAさん。Aさんは私より年上妻子持ち。

Aさんは車が無かったので会社に来るのに私が迎えに行ってました。

流石に1週間続くと私なりにAさんに言いました。

「流石にこのまま毎日迎えに行くのはどうかなと」

「バイクでも買ったらどうですか」

Aさん

「金が無いんだよ」

金が無いからって俺だってガソリン代かかってんだよ。

「中古の原チャリでも買えばどうですか」

Aさん

「送り迎え嫌なのかよ」

「!」

流石に毎日は嫌でしょ。

Aさん

「嫁に相談してバイク買うからそれまで頼むよ」

嫌だけど

「解りました」

結局バイク来る迄で2週間送り迎えしましたよ。

Aさんバイクに乗って初出社!

何のバイク買ったのかな。

金ないんだから安い原チャリなんだろうなと思いきやビックリ!

新車のゴリラ50cc!

嘘だろ金が無かったんじゃないのかよ。

マジであり得んわぁ

私が同じ立場なら絶対に中古の安い原チャにしますよ。

結局自分のポリシーを下げれなかったんだろうね。

因みにAさん何年後かに会った際離婚してました。

奥さんは奇麗な方でしたよ。

またこの奥さんとも何年後かに遭遇!

遭遇した場所、私が接待で入ったスナックのホステス!

ビックリ!源氏名は娘の名前!

その現状で遭遇、なかなか話しずらいし喋れない。

本人は、また来てねって来れる訳ねぇーだろ。

 

話は戻って

Aさんが入社して1ヶ月位立つ頃でしょうか。

親会社のいざこざの話が浮上してきました。

元々親会社は同族会社で経営しておりました。

親会社の後ろ盾に某大手自動車会社が御座いました。

その某大手自動車会社が多分ですが親会社の株を買って乗っ取りを行ったんだと思います。

当然親会社は役員は失脚されるのでしょう。また、今まで自分の会社だから好き放題やっていたけどそんな事が出来なくなる。

結局同族は、新しい会社を立ち上げました。

我々は、外注ですからどうなるのかなぁと思いきや部署移転との事です。

場所は、今通勤している場所より下道車にて1時間半遠い場所です。

Mさんと今後の話をしました。

私としては、交通費さえ頂ければと考えておりましたがMさんから出た答えは、

給料体制は変わらない!当然交通費も変わらない!

ウソでしょ!

流石に交通費が上がらないのであれば通えないよ。

私は頭を下げて退職する事にした。

本当にお世話になりました。

因みにその親会社数年後に倒産してます。

数年後にサッカーの仲間と遭遇う話を色々聞くと退職金割増しで自己退職者を募り

最後は倒産したとの事。

仕事の斡旋はしてくれなかったみたいです。

第三幕完

 

ここから、私の世の中の矛盾!己の矛盾!

 

・Aさん。家族の事考えたら絶対に中古の原チャだよ。自分のポリシー捨てろや!

自分が捨てれなかったから嫁さん出て行ったんだよ。

・Aさん。俺が言わなかったら本気で毎日送り迎えさせるつもりだったのか!

 

もし宜しければ皆さんの御感想や文句等言って頂ければ幸いです。

あくまで色々な考えがありますからそんな考えをぶつけ合えれば良いかなぁと思っております。

第二幕!金が無い

 

スタンドをクビになり住む場所が無くなったけれど1ヶ月前払いの家賃をしていたお陰で首の皮一枚繋がり状態。

取り合えず職探し、残念な事にスタンド時代貯金をしていなかったので所持金も12万位だったかと次も住込みで探すしかない現状新聞配達員は出来るだけ避けたい。

中々見つからず時間だけが過ぎて行く。

ある日スタンド時代のアルバイトをしていた1歳年上のUさんが訪ねて来ました。

Uさんは、専門学校に通っている実家暮らしの青年。

悪い人では無いが、私自身Uさんを嫉妬していた。

何故なら学生身分で親に金を借りてかわからんがセリカを乗り回し帰れば飯がある生活そんな輩私からして見れば天国ですぜ。

Uさんは、学校さぼり癖がある人で良く我家に来て遊んでました。(バイトは真面目だったなぁ)

Uさんが何しに来たかと言うと私を誘いに来たのです。

「一緒にお笑い芸人しないか!」

この人マジ!

だって専門学校行ってる輩で尚且つ実家暮らし不自由ないでしょう。

「本気で言ってんの」と言うと真剣な眼差しで「マジ」と答えるから話を聞いてみた。

「いきなり事務所とか言っても相手にされないよ」

Uさん

「ストリップ劇場とかで出番貰ってやろう」

「!」

 

取り敢えず何もしないより動いた方が良いと思いストリップ劇場に足を運んだ。

ストリップ劇場に付き劇場の方に話を聞いた

「今時出番なんか有る訳ないだろ」と追い返されるしまつ。

だけど最後に

「東京の劇場行けば出番貰えるんじゃね」

 

早速東京へ

東京で有名なストリップ劇場に行き即交渉。

答えは、

「出番等はあるが劇場の裏仕事をして合間に出れる程度だぞ」

「タバコ銭位しかだせないぞ」

「住込みは出来ない」

でしょうね。

正直私は、住む家が無い尚且つ東京までなんか到底通えない。

東京に住むにも保証人が居ないと借りれないし知り合いなんかいない。

Uさんはやる気十分だったが、今の私の現状を説明。

止む無く帰路に就く。

 

これは私の持論だが、実家にいるなら実家に入る内に金貯めてやりたい事をじっくり考えた方が絶対に良いよ。

家賃ないし炊事洗濯してもらえるなんて天国。

若気の至りで出て行っても良い事ない。

絶対我慢!

 

お金が日に日に減っていく。

とある日Uさんも知り合いのHさんが訪ねて来た。

Hさんは、私と中学が一緒の1歳年上の先輩。

「行き場所が無いなら俺が今働いてる寿司屋に住み込みで来ないか」と

誘いに来てくれたのである。

取り敢えず何もしないよりかは良いだろうと判断。

早速面接に伺いHさんのバックアップも有り入社決定。

待遇は、お店の2階に住み、3食賄い付き。1ヶ月10万のお給料。

休みは、飲食業なので月曜日。

因みに住込みはHさんも一緒。

Hさんの場合通うのが面倒だから2階に住んでるとの事。

 

寿司屋の朝は早い。

当然私は見習いなので店の掃除から始まる。

先輩のHさんは修行の為か親方と朝6時起きにて市場に仕入れ。

私も6時起きにて店の掃除。

7時半位に市場から帰って来て朝食後仕入れの品物の仕込みが始まる。

仕込みが終わり次第休憩だが当時は出前絶頂期お客より出前の御声がかかれば休憩時間関係無しの出動。

私は、掃除と出前、皿洗い担当でしたから店に出る事は殆ど無く裏方一本。

基本客が居なければ14時~17時まで休憩時間。

17時より夜の部スタート。

客が居なければ12時にお店を閉めたがお客がいる場合帰るまで裏にいなくてはならない。

一番酷い時は夜中2時位まで飲んでる客が居てそこから後片付けして風呂入って早くて3時キッツ。(基本2時までいる客はレアだけどね)

 

賄いは、私が作るのかと思いきや女将さんが3食作ってくれました。

(女将さんがいない時は、Hさんが作っていたなぁ)

住込みで一番キツイ事解る。

下で働いてる人がいるからズル休みや有休が使えないと言う事。

だって休んでいても2階にいたら下に降りずらいでしょ。

働いて居た頃一度だけ熱が出て休みました。

その時も熱が上がるまでは働いて居ました。

そうそう寿司屋にいるから寿司が食べれる訳ではない私が働いて居た限り寿司を食べた記憶は2回一度は熱が出た時チラシ寿司が出ました。(正直熱があるのに食べれないでしょ)

もう一度は、試作を作った時の試食位ですかね。

 

このような環境下でも良い事も有りました。

それは、月10万の給料でも貯金が出来た事。

結局月曜日休みで遊ぶ事も出来ず朝から寝てる事が多かったので休みの日も賄い用の冷蔵庫は使用可でしたから食には困らなかった。

結果お金はたまりました。

それと、当時は出前先にてお年玉を貰える事がありました。

私は根が真面目なので正直にお年玉も報告。

お年玉は店の皆で山分けになるシステムでした。

あと、よくHさんがファーストフードを奢ってくれましたね。

この寿司屋ではそれ程大きな事件はなかったですね。

小さい事言えばHさんと女将さんが仲が悪かった事位ですかね。

同じ事を毎日している現状で私の体に異変が起きました。

毎日の掃除、皿洗いでの影響で手の皸完全にギブ状態。元々アトピーを持っているので

手の皸が酷い有様で完全に心が折れました。

お金も貯まったしHさんには申し訳ないが退職の意思を伝える。

親方になんて退職の説明しようか考えた結果

「私の叔父が地方で乾き物の販売を営んでいるのですが、跡取りが居ない為もし良ければ後を継がないかと連絡を頂きました」

まぁ親方は納得出来ない顔をしていましたが私の意思が強い事も理解して円満退職となりました。

本当にお世話になりました。

と第二幕完

 

ここから、私の世の中の矛盾!己の矛盾!

 

・当時タイムカードなんかなかったから解らないが労働時間は問題なかったのか。

・世の中では有休休暇があるがそれを何故使えなかったのか。

 

もし宜しければ皆さんの御感想や文句等言って頂ければ幸いです。

あくまで色々な考えがありますからそんな考えをぶつけ合えれば良いかなぁと思っております。

会社の矛盾!良くわからん

私は今の会社に勤続27年。

話は長くなるが、私は今の会社に入る前は3社お世話になっている。

一番初めにお世話になったのがガソリンスタンドの正社員で住込みにてお世話になった。

何故住込みでお世話になったかと言うと

私は一応高等学校(普通科)を卒業してはいるが、学校にて授業をまともにした記憶が無い。

16歳から一人暮らしをしていた私は(何故一人暮らしになったかは追々話そうかなぁ)

学校も単位が足りなかったので何とか頼み込み補習授業にて単位を取り卒業をした。

そんな事から当然大学や専門学校的な事も考えず学校に行っていなかった事も災いして

就職活動をせずに学校を卒業した結果無職で路頭に迷っていました。

当時は学生時代に取得したバイクの免許はありましたが車の免許がなく就活に対して車の免許位は持ってないとと思いなけなしのお金で車の免許を取りに行きました。

免許取得にお金を使ったので所持金は6万位とバイク一台、住んで居た場所家賃が払えなかったのでは追い出されました。

お金を稼ぐ、住む所を探すを一石二鳥にするには住込みしかないと判断して求人広告や雑誌にて探しましたが中々見つからず偶々夜御飯を食べていた店で酔っぱらいのおじさんと意気投合無職の話をしていたら「話を通してやるから面接に来い」との事で次の日早速面接に行きました。

そのおじさんの後押しも有り住込みにて働かして頂ける事になったのがガソリンスタンドです。

会社が貸りてくれた住居は、1階がスナックで店横の階段から2階に上がりそこに住んで居ました。(昭和だよねぇ)

間取りは、1K風呂有り。下がスナックだったけど音はそんなに気にならなかった。だけど外のネオンが慣れるまで気になったかなぁ。

どの位働いていたかは、曖昧だけど多分1年居なかったんじゃないかな。

当時は、今と違ってセルフなんかなかったから毎日接客。

スタンドマンの仕事は、当たり前だがガソリンを入れる事以外にオイル交換やパンク修理、洗車を行っていました。

夏は暑く、冬は寒く当然だが冬場の洗車は地獄だった。

当時はまだ若かったから先の事は考えず1日1日を頑張っていた。

当然今と違って仕事は週6出勤で休みは1日。接客業だから皆で相談して休みの日を所長が決めていた。

会社は、中古車販売がメインでその下にガソリンスタンドの枝が有りその枝で働いていた。

スタンド内は、所長、副所長、社員3人(私と話を通してくれたおじさん、女性)、アルバイト4人で回していました。

因みに私が会社辞めて何年後かに所長と社員の女性は結婚したらしい。

会社内は、所長派、副所長派で派閥が有って(少人数でも派閥が有るんだなぁと今思えば)私は何故か副所長派でした。理由は簡単副所長の方が人数が多かったから。

本当にこの二人は仲が悪く派閥柄私は所長に嫌われていたかもしれません。

当時の事で一番の事件は、窃盗事件です。

スタンドではプリペイドカードなるものが在るのですが、毎日売上の集計を取る際に現金は問題なかったのですがプリペイドカード分の金額が合わなくなる時期が有りました。

私は売上の集計等をさせて頂いた事が無い位の平社員ですのでわからなかったのですが、相当の金額が無くなっていたみたいです。

当時は会社に防犯カメラ等当然ありませんので社員のおじさんが接客業を行わずに事務所を注意深く探っていると有るバイトが入っている日に限って金額が合わない事に築きました。

そのアルバイトを問い質したとしても正直に答える筈もなくそのアルバイトをクビにした結果集計が毎日合う事になり問題解決となりました。

私的には、そんな何十万も無くなっていてクビにした程度で良いのかなぁと今でも思っています。(まぁ昭和の時代今と違って余り訴えると言った事を簡単にしなかったんだと思います)

 

話は飛んで私が辞める時の話ですが、

ある朝の日私自体眠かった事も有るのですが、所長が挨拶をした際私の態度が悪かったとの事で「お前態度わりぃーぞ!帰れや」と一括。

元々私は目が悪く睨んでいる様に見られがちで尚且つ極道顔。学生の頃はよく因縁を付けられた事も有る位です。

私も虫の居所が悪かったのか、腹を立てて帰ってしまいました。

その日から1ヶ月位でしょうか。まったく会社に顔も出さず会社からの連絡も無く会社の貸りた住居に居たのですが、会社から連絡が有り保健書を持って来なさいとの事。クビですよね。

そして、保健書を持ち会社に行って恫喝しまくりで帰って行きました。

と第一幕としてはこんな感じです。

 

ここから、私の世の中の矛盾!己の矛盾!

 

・私だって人間です。態度が悪い時だってあるかもしれませんが、流石に社員でいるのに所長相手にため口や恫喝なんかしませんよ。眠くて挨拶が遅れたり見た目が悪かったかも知れませんがそれで帰れって!

・何故1ヶ月もほっといたのだろうか。

・現実問題所長が帰れと言ったので帰ったのに自己判断で帰った訳では無い。

・私自身仲間だと思っていたけど仲間じゃなかったから周りは1ヶ月も気にしてなかったんでしょうね。

 

もし宜しければ皆さんの御感想や文句等言って頂ければ幸いです。

あくまで色々な方の考えがありますからそんな考えをぶつけ合えれば良いかなぁと

思っております。